ふたりの人生で思うこと

子供のいない人生を選択し、その道を歩く過程で思うことを書いています。ある程度考えがまとまってからアップするので更新は相当遅いです。

男性不妊をテーマにした映画が10月に公開される

3月末になんとなくネットを見ていたら、こちらのニュースが私の目に留まった。

 

mdpr.jp


松重豊北川景子が夫婦役 “男性不妊”描く<ヒキタさん! ご懐妊ですよ>』という見出しを読んで、やっと、やっと、男性側の視点からも真正面から描いてくれる時代が来たのか!って思った。

 

どうしても体の構造上、産む側である性の女性がメディアでもクローズアップされることが多く、女性問題というまなざしが向けられ、それが女性の責任という間違った認識につながったりという流れがあった(だからこそ、政治家の失言とかも過去にいろいろあったわけだよね)。

 

本来なら、”子供を望んだ男女二人”が一緒に考えていかなければならない問題なのに(当たり前だが女性1人で妊娠できるわけないわけで、その点においての男性の存在がスッポリ抜け落ちているのだ)、女性ばかりがクローズアップされるという状況は、残念ながら”私の問題と思い込みやすい女性””自分ごととして考えにくい男性”を増やすことにつながってしまう。

 

(最初から自分ごとと考えられる男性も存在していることはもちろんわかってる。ノットオールメンであるというのは念のため言っておく。)

 

そういう流れを少しでも変えられる映画であるなら、それはそれでうれしいと思った。

 

が。しかし。

うれしいと思うと同時に、どうしても1つだけ腑に落ちない点があって。

なぜ原作よりも夫側の年齢を引き上げたのか、というこの1点だけが映画もまだ見ていない状況で申し訳ないが、非常に残念だと思わざるを得なかった。

 

 

確かに原作も年上の夫だった。それに年齢差のある夫婦だって当たり前のように存在する。

でも、男性不妊がテーマである映画であるはずなのに、なぜに実年齢が59歳の松重さんだったのか。。。

 

(もちろんこの腑に落ちない思いは松重さん自身とは何ら関係のないことだとは言っておきたい。松重さん自身が素晴らしい俳優だから選ばれたわけだし、松重さんなら不妊問題を取り上げるうえでそのにじみ出る優しい雰囲気からも違和感なく演じられるだろうし、北川さんとの夫婦役も一緒にいて不自然なく演じられるんだろうし。)

 

原作での夫の年齢は45歳だった。映画では設定上、夫の年齢は49歳で妻との年齢差は24歳差らしい。あえて原作より年齢を引き上げているし、松重さん自身を見てもやっぱり50代の男性でしかないよね。

 

”子供を授かるか”という問題に関しては今までも”年齢”がクローズアップされてきたわけだ(年齢関係なく起こりうる夫婦には起こりうる問題なのに)。

 

それゆえに、例えば婚活領域の話になると、男性側が子供を望んだ時に”自分より年齢の若い女性と結婚すれば”なんてまなざしが今でも残念ながら存在している(こういう話を耳にすると私は腹がたってしょうがないんだけどね。相手の女性の年齢を考える前に己自身の検査を受けたことがあるのか?って突っ込みたくなる)。

 

そういう土壌がなんとなく存在している中で、やっと男性側をクローズアップした不妊治療の映画がつくられると思ったら夫が年上で、夫婦の年齢差は24歳。それってあんまりじゃないですか?って私は言いたくなってしまう。

 

そもそも原作と年齢が違っているのであれば、あえて原作より年上の男性を設定するのではなく、原作より年下の男性を設定しても良かったんじゃないの?って言いたくなる。原作の45歳を35歳くらいにした方が妻役の北川さんとの夫婦役も違和感がないし、その設定の方がリアリティをもって考えられると思うんだけど。。。

 

 

この映画の着地点がどう転がっていくのかはわからないけれど、もし仮に”○○を乗り越えて妊娠しました”という方向で終わるのであれば結局、“年下の奥さんだったら大丈夫”みたいな感覚を強化することにもつながるんじゃないのだろうか。


また、実年齢が59歳の男性が取り組む男性不妊の映画を例えば20代30代の男性が見たとして、どれだけ”自分ごと”として考えられるのだろうか。私はますます”俺にはまだ関係ない遠い出来事のフォルダ”に入れられて終わるだけじゃないのだろうかという心配がある。

 

せっかく今までのバイアスを軌道修正できる設定の映画であるはずなのに、かえってそのバイアスを強化してしまうのであれば前進どころか後退してしまう。

 

その心配が”私の勘違い”で終わるような映画であることを願う。