ふたりの人生で思うこと

子供のいない人生を選択し、その道を歩く過程で思うことを書いています。ある程度考えがまとまってからアップするので更新は相当遅いです。

チームゼロの経過と考えなけらばならないことのざっくり一覧

チームゼロを経験して、こういう経過だったな、とか、こういうことをたくさん突きつけられてきたなと思うことをざっくりと書いてみました。また、こういうことについて相互にチームゼロ界隈で情報交換できたら自分の頭の整理や、参考になったりするのかなとも思いました。他の夫婦の状況を知れることで見えてくるものがあったり、冷静になれたりすることもあると思うので。

 

振り返れば、チームゼロ発覚直後はまるで嵐の日々で、私自身右も左もわからず、この状況を突きつけられた他の夫婦はどんな風に歩いているのか不思議でした。

 

少し進んではまた何か考えなければならないことが勃発し、時には横っ面をひっぱたかれるような思いをしたり。なかなか見通しが立たず、この先の道もわからな状態(それは旦那氏の手術の結果だけではなく、チームゼロだからこそ抱える思いもどんどん肩にのしかかって)にただただ恐怖を感じていました。

 

だからこそ、道しるべとは言わないけれど、いずれこんなことを考えなきゃならないかもなぁ~というような目安的なもになるといいのかなと思って。

 

ということで、ざっくりこんな感じで書いてみました。

 

チームゼロの発覚時期 結婚前から知っていたor結婚から〇年目
〇発覚時の夫婦の通院状況 妻のみ通院していたor夫婦同時期に通院し始めた
〇妻のみ通院していた場合 発覚時の妻の通院期間

 

〇(夫側は)男性不妊の場合もあると想定していたか
〇(妻側は)男性不妊の場合もあると想定していたか
〇(夫側は)男性不妊外来の存在を知っていたか
〇(妻側は)男性不妊外来の存在を知っていたか

 

〇(発覚したのが産婦人科だった場合)発覚してから夫側が男性不妊外来を受診するまでの期間

〇初診時に予約が必要な場合、予約は誰がしたか 夫or妻
〇男性不妊外来受診は 夫のみor夫婦で


〇閉塞性or非閉塞性
〇原因となりえる既往歴はあったか

〇(あった場合)それがチームゼロの要因になる可能性があると知っていたか
〇染色体検査の有無と結果
〇遺伝子検査の有無と結果
〇原因は特定できたか 
〇手術(TESE)したorしない 
手術をする場合
〇夫診察後、手術すると決めるまでの期間は? 

 

〇(発覚前)夫側両親からの孫プレッシャーの程度は 無しorやんわりor直球ストレートに
〇夫側両親へのカミングアウトの有無 
〇夫側両親へのカミングアウトの時期 発覚から手術の間or手術後
〇夫側両親への説明は誰がしたか
〇夫両親への説明方法 対面・電話・メール
〇(対面の場合)夫両親への説明時、誰がその場にいたか
〇夫側両親の反応は

 

〇(発覚前)妻側両親からの孫プレッシャーの程度は 無しorやんわりor直球ストレートに
〇妻側両親へのカミングアウトの有無
〇夫側両親へのカミングアウトの時期 発覚から手術の間or手術後
〇妻側両親への説明は誰がしたか
〇妻側両親への説明方法 対面・電話・メール
(対面の場合)妻両親への説明時、誰がその場にいたか
〇妻側両親の反応は

 

〇(夫側は)誰かにチームゼロについて相談したorしない
〇(妻側は)誰かにチームゼロについて相談したorしない

 

〇(手術のため仕事を休まなければならない場合)夫側は休む(勤務調整する)理由を説明したorしない
〇(手術のため仕事を休まなければならない場合)妻側は休む(勤務調整する)理由を説明したorしない

 

〇発覚から手術までの期間 
〇手術する病院の場所は自宅から近いor遠方
〇遠方の場合移動手段は車・新幹線・飛行機
〇手術時・妻は同時採卵したか 
〇手術結果は 
〇(採取できた場合)顕微授精する病院は手術した病院と同じor違う

 

〇手術後、創部の経過は? 良好or不良
〇手術後、痛みはどれくらい続いた?
〇手術後、夫側の定期的な通院は? しているorしていない
〇手術後、夫側の定期的な治療は? しているorしていない


採取できなかった場合
〇その後の夫婦の選択は?夫婦2人or養子縁組orAID or離婚

 

養子縁組もしくはAIDを選択した場合
〇(夫側は)いつ頃から調べ始めた? 発覚~手術の間or手術結果が出てからor自分は調べておらず相手に一任
〇(妻側は)いつ頃から調べ始めた? 発覚~手術の間or手術結果が出てからor自分は調べておらず相手に一任

 

〇これまでの経過の中で離婚について話したことはあったか
〇あった場合どちらから切り出したか 夫or妻
〇切り出した時期はいつ 手術前or手術後

 

チームゼロと知ってから現在は何年目?
〇現在の状況は?

 

 

いま30分ほどでざざーと書いてみた項目なので、今後私の状況も追加したり、改定したり、自分なりに練っていきたいと思っています。

揺さぶられる言葉だった

数日前の磯野貴理子さんの離婚報道を知り、それをご本人が報告していた番組を見て、やっぱりダバダバ泣けてきた。

 

その言葉は、揺さぶられる。

 

私自身はもう結果が出てるけれど、産める産めないの綱渡りの時期を不安に駆られながらなんとか生き抜いた時期があったから余計に揺さぶられたのかもしれない。

 

ノンストップではriricoさんが涙されていたというネット記事を読んだ。スッキリを見たら、水卜ちゃんがコメントを求められたときに言葉を詰まらせてる(しぼりだすような)感じだったし。”離婚報道”と言えばそれまでなんだけど、理由として語られたその言葉というのは、報道する人、それを聞く人、それぞれの何かしらの思いを揺さぶるワードでもあったのだろうなぁと思う。

 

もう私なんかは、泣いた後に反射的にまたいつものことを考えた。

 

いやいや、そう言うならあなたは検査したんでしょうね?これでチームゼロだったらどうすんの?ってね。
思っちゃうんだから仕方ない。。。

 

泣いた後にはなんだか怒りの感情がグワーッと出てきて、なかなかすぐには文章化ができなくて。

そう思っていたら、たまたまカンニング竹山さんのアエラの記事を読んで、頷きまくった。

dot.asahi.com

 

基本的に、夫婦のことは他人が口を出すものではないと思っています。自分の人生とか考えと違うことがあっても、それは別の人の人生であり、あの夫婦が結論を出したことに、外野がやんや言えることじゃないんです。

はい。まったくその通りだと思う。

 

 

子どもがほしいと思うのは、男の人も女の人も自然なこと。でも、できなかったりする人生もあるわけです。そうなったときに、それを受けいられるか、自分の人生に覚悟を決められるかですよね。


はい。覚悟を決められるか、だ。うちの場合は、私も旦那氏も、このような理由でこんなにも早く覚悟を決めなきゃならない立場に立たされるとは思わなかった。でも、時に、そういう場合もあるのだ。

 

 

人の子どもを預かったりしたときは、楽しいな、子どもがいたらと思うことはあります。でも、それは僕の人生じゃないですから。夫婦2人で良い時間を過ごすことが僕の幸せ、という結論なんです。


すばらしいと思う!

 

 

貴理子さん家の問題は、貴理子さん家の問題。だけど、何かできることがあるとしたら、「同じ問題が起きたときにあんたどうする?」ってカップルで話し合ってみるということですかね。そこで出てくることが、その家の解決方法になるんでしょうね。

 

例えば、20代30代で結婚し、何も気がかりな既往などがなければ、同じような状況になるとはなかなか考えにくいものだ。
どちらかと言えば”もし子どもができたら”という考えを軸にしてしまうだろう。もちろんそれはそれでいいのだけれども、同じように”そうではなかったら”という未来を突きつけられることもあるわけで、子供を望んでいる夫婦だったら確かに考えたくないことかもしれないが、段階的に考える瞬間も時に必要なのだと思う。というか、当事者からすれば折に触れて頭をよぎることなのかもしれない。

 

 

 

こういうときメディアで「そんなことは結婚したときに決めておかないと」って意見をよく聞きますけど、結婚するときだけじゃなくて、改めて覚悟をしなきゃいけないタイミングが夫婦にはあるってことなんですよ。


人の心はグラデーションするもので、いい時もあれば悪い時もある。それは、自分自身の努力でコントロールできる部分もあればできない領域のことだったりもする。
だから常にとは言わないけれど、夫婦で同じ方向を向けているのかな?とふと立ち止まって一呼吸おいて考える時も必要なんだろうなと思った。
そうして考えてきたことを積み重ねても、別々の道を選択する場合もあるだろうし、一緒の人生をと思う場合もあるだろうし、それはその夫婦の数だけ違いがあるのだから。


☆ ☆ ☆

 

私は、カンニング竹山さんのように、子供がいないことについて語れる人の声がもっといろんな人に届くといいなと思う。

 

なぜならば、産まない側を生きながら時に思うのは、どうやら”子供を産まない(子供がいない)=(子供について)何も考えていない”というように捉える層が残念ながら一定数いるとわかるからだ。

 

もちろんみんながみんなそう考えているわけではないのは百も承知だが、そうではない層は、子供がいないと老後が・・・とか、早く産んだ方がとか、直接目の前の人に言うからね。。。

 

たまに事故にあったかのごとくそういうタイプの人と遭遇してしまうから疲弊する。

 

私も竹山さんみたいにとっくに老後のこととか、相手に先立たれたらとか、グルグル考え尽してる。

 

子供がいる人生、いない人生を誰もが望んだとおりに選ぶことなんてできないんだよ。特にうちの場合は実子に関してはどうにもならないと結論が出てるわけだし、なおかつ私はその背景を直接言葉にして誰かに説明なんてしたくない。

 

だから、子供がいないことについて語れる人の言葉がもっと届くといいなと思う。

 

ちなみにこだまさんのインタビュー記事も公開されていた。
こちらもあわせてどうぞ。

 

 

 

男性不妊をテーマにした映画が10月に公開される

3月末になんとなくネットを見ていたら、こちらのニュースが私の目に留まった。

 

mdpr.jp


松重豊北川景子が夫婦役 “男性不妊”描く<ヒキタさん! ご懐妊ですよ>』という見出しを読んで、やっと、やっと、男性側の視点からも真正面から描いてくれる時代が来たのか!って思った。

 

どうしても体の構造上、産む側である性の女性がメディアでもクローズアップされることが多く、女性問題というまなざしが向けられ、それが女性の責任という間違った認識につながったりという流れがあった(だからこそ、政治家の失言とかも過去にいろいろあったわけだよね)。

 

本来なら、”子供を望んだ男女二人”が一緒に考えていかなければならない問題なのに(当たり前だが女性1人で妊娠できるわけないわけで、その点においての男性の存在がスッポリ抜け落ちているのだ)、女性ばかりがクローズアップされるという状況は、残念ながら”私の問題と思い込みやすい女性””自分ごととして考えにくい男性”を増やすことにつながってしまう。

 

(最初から自分ごとと考えられる男性も存在していることはもちろんわかってる。ノットオールメンであるというのは念のため言っておく。)

 

そういう流れを少しでも変えられる映画であるなら、それはそれでうれしいと思った。

 

が。しかし。

うれしいと思うと同時に、どうしても1つだけ腑に落ちない点があって。

なぜ原作よりも夫側の年齢を引き上げたのか、というこの1点だけが映画もまだ見ていない状況で申し訳ないが、非常に残念だと思わざるを得なかった。

 

 

確かに原作も年上の夫だった。それに年齢差のある夫婦だって当たり前のように存在する。

でも、男性不妊がテーマである映画であるはずなのに、なぜに実年齢が59歳の松重さんだったのか。。。

 

(もちろんこの腑に落ちない思いは松重さん自身とは何ら関係のないことだとは言っておきたい。松重さん自身が素晴らしい俳優だから選ばれたわけだし、松重さんなら不妊問題を取り上げるうえでそのにじみ出る優しい雰囲気からも違和感なく演じられるだろうし、北川さんとの夫婦役も一緒にいて不自然なく演じられるんだろうし。)

 

原作での夫の年齢は45歳だった。映画では設定上、夫の年齢は49歳で妻との年齢差は24歳差らしい。あえて原作より年齢を引き上げているし、松重さん自身を見てもやっぱり50代の男性でしかないよね。

 

”子供を授かるか”という問題に関しては今までも”年齢”がクローズアップされてきたわけだ(年齢関係なく起こりうる夫婦には起こりうる問題なのに)。

 

それゆえに、例えば婚活領域の話になると、男性側が子供を望んだ時に”自分より年齢の若い女性と結婚すれば”なんてまなざしが今でも残念ながら存在している(こういう話を耳にすると私は腹がたってしょうがないんだけどね。相手の女性の年齢を考える前に己自身の検査を受けたことがあるのか?って突っ込みたくなる)。

 

そういう土壌がなんとなく存在している中で、やっと男性側をクローズアップした不妊治療の映画がつくられると思ったら夫が年上で、夫婦の年齢差は24歳。それってあんまりじゃないですか?って私は言いたくなってしまう。

 

そもそも原作と年齢が違っているのであれば、あえて原作より年上の男性を設定するのではなく、原作より年下の男性を設定しても良かったんじゃないの?って言いたくなる。原作の45歳を35歳くらいにした方が妻役の北川さんとの夫婦役も違和感がないし、その設定の方がリアリティをもって考えられると思うんだけど。。。

 

 

この映画の着地点がどう転がっていくのかはわからないけれど、もし仮に”○○を乗り越えて妊娠しました”という方向で終わるのであれば結局、“年下の奥さんだったら大丈夫”みたいな感覚を強化することにもつながるんじゃないのだろうか。


また、実年齢が59歳の男性が取り組む男性不妊の映画を例えば20代30代の男性が見たとして、どれだけ”自分ごと”として考えられるのだろうか。私はますます”俺にはまだ関係ない遠い出来事のフォルダ”に入れられて終わるだけじゃないのだろうかという心配がある。

 

せっかく今までのバイアスを軌道修正できる設定の映画であるはずなのに、かえってそのバイアスを強化してしまうのであれば前進どころか後退してしまう。

 

その心配が”私の勘違い”で終わるような映画であることを願う。

授かる、授からない、それぞれ存在する

みんながみんな、同じ未来像を描くわけではないし、たとえ描いた未来像が誰かと同じだったとしても、その通りの人生を誰もが歩けるわけではない。


そうであるはずなのに、どこか耳にしたり、目にするのは、ある年齢になると”妊娠しました”、”出産しました”の報告であり、そして、メディアでよく取り上げられるのも、”○○を乗り越えて出産”というようなストーリーだったりもする。

こだまさんのTwitterで『妊活たまごクラブ 2019-2020』にこだまさんの記事が載ったと知った。私は”やっとこういう話も取り上げられるようになったんだ”と率直にうれしく思った。

↓こちらのツイートね。

 

 

 


ポイントなのは、子供を望む人が読む雑誌に、子供を持たない選択の記事が載ったということだ。本当、よくぞ載せてくださった!と思う。

 

なぜそう思うのかというと、子供を望みひたすら努力し続ける人にとって、自分が望む道、もしくは外野から望まれる道がたった一つしかない(と思わされる)状況は非常に苦しいことだということを自分は知ったから。

 

努力した分だけ、努力した分の結果が誰でも得られるのであればいいのだが、不妊治療の世界は必ずしもそうではない。いくら”昔に比べれば医療が進歩したから”と言ったところで、つらいことではあるが、妊娠率が100%で、流産率が0%になることはあり得ない。

 

”これから妊活頑張ります!”という感じの初期段階だったら自分の望むストーリーが耳に入ることで救われたりモチベーションがあがることもあるだろう。ただ、自分の望む結果がなかなか得られない状況になればなるほど、”○○を乗り越えて出産”というニュースばかりが耳に入れば、それは苦しくもなる。なんで自分だけ?みたいな感情が湧き上がってもおかしくはない。


また、その苦しみをどこかでポロッとこぼせば、”不妊治療を辞めたら妊娠した人だっているよ!”なんて言葉を頂戴してしまったりもする。
もちろん”良かれと思って”の言葉なのだろうが、授かる人も授からない人も確実にそれぞれ存在するんだよ。

 

もっと言えば、不妊治療を辞めたらそれこそ絶対に授からないと本人が知ってる場合もある。チームゼロで回収できた夫婦がまさにこのパターン。自然妊娠が不可能なんだから顕微授精をしなければ授かるわけがないと本人たちは知ってる。一縷の望みをかけて顕微授精に進むが、だからといって続けても授かる保証なんてどこにもない。だからこそ苦しいわけだが、そういう人に”不妊治療を辞めたら妊娠した人だっているよ!”なんて言ってもまったく的外れな会話でしかないんだよね。

 

(1から10まですべての背景を説明できればこういうすれ違いは防げるんだろうが、不妊治療という超絶プライベートなことをだれでもかれでもオープンに語れるわけがない。だからこういう的外れな会話が起きてしまうということは補足しておきたい。)

 

そんなストーリーを目の前の出来事として私が想像できてしまうのは私自身がチームゼロの世界を知ったからだ。でも、”結婚=子供”とナチュラルに思い込んでる世界に住む人にとっては”まったく見当がつかない話”でしかないと思う。

 

だから、”道は一つではない”という現実がもっとメディアでも取り上げられるようになればいいなと思う。

 

ハイヒール・リンゴさんの記事も参考になる。

こちら↓

www.daily.co.jp

 

私も不妊治療を長く続けて、結局子供はできなかった。実際、不妊治療をしても子供を授からない人も多いんです。だけどマスコミは、取り上げず、長い不妊治療の末に子供が生まれた話を扱いがち。「幸せな話」という結論ありきになってしまっている。

まったくそう思う。

 

また、こちらのくどうみやこさんの記事も参考になる↓
『「40歳で生みました」という報道の功罪』と『「諦め方」の支援が絶対的に足りていない』というのはまったくその通りだと思う。

 

aria.nikkei.com


 


 

不妊治療がすべて終結して数年経って思うことは、

不妊治療を頑張りたい人は頑張ればいいし、自然に授かりたいと思う人はそれでいいと思う、そして、不妊治療を頑張っていたとしても、途中で区切りをつけやすい環境になればいいな、ということだ。

 

今の私はそう思ってる。ただ、いわゆるみんなから望まれるような”サクセスストーリー”がクローズアップされる状況は、なかなか途中で区切りをつけやすい環境とは言えないんだろうなと思う。


だからこそ、100人いれば100通りの道があることがもっと広まればいいなと思う。

”孫を見せるのが一番の親孝行だよ”と誰かに言うことについて

孫の顔を見れたことで親孝行をしてもらえた、と思う人もいるわけで、それはその人にとっては正しいことなんだと思う。だからそのこと自体を否定することなんてできない。

 

ただそれを、産むことを推奨する意味合いとして誰かに言い放てる人と私は最悪なくらいに相性が悪い。それを誰かに言える人は、チームゼロの存在が見えてないし、”ないこと”にしちゃってるんだろうね。

 

いいっすねぇ。うらやましいっすよ。(棒読み)

 

 

ホンマでっかTV所ジョージさんがゲストに出た時に、所さんがさんまさんに言ってたんだよね。これに関してはさっそく記事やらおまとめができてた。

↓   ↓   ↓

 

dailynewsonline.jp

 

togetter.com

 


チームゼロの状況で七転八倒し、それでもなんとか夫婦2人で歩きだそうとしている中でこういう言動を耳にすると、そりゃ石を投げつけられる感じがする。こっちは淡々と歩いているだけなのに。

 

こういうタイプの人と遭遇する可能性があるからこそ、盆正月の帰省なんかが私はしんどい。夫側親戚から投げかけられるとこれまた余計にしんどい。自分の親戚側にいるんだったら嫌な顔の一つでもできるかもしれないが、私はこういうタイプが夫側の親戚にいたから疲弊した。”チームゼロでも頑張って歩き出そうとしてるのにこの仕打ちかよ!!!”って思っちゃったからねぇ。

 

(孫の顔を見せるのが親孝行と言われたわけではないが、子育てしてないんだから暇でしょ?とか、妊娠は?とかね、あるわあるわ。)

 

今回のニュースで言えば、

例えばさんまさんの娘さんが妊娠したとか出産したという状況がある上で”自分は孫の顔を見れたことで親孝行してもらったと感じたよ”と所さんが話したのであれば、別にネット記事にもならずに終わった話だったと思う。でもそうじゃなくて、親孝行だから早く出せって流れになってるからねぇ。。。

”親孝行”を大義名分にするからこそ余計にたちが悪い。

 

まぁ、そいういうことを言いだすと”そんなこと言ってたら何も言えなくなるじゃん!”って思う層もあらわれる。

でも本当は、産むか産まないかについては当事者からすれば心が相当揺らぐほどの繊細な問題なんだけどね。私は、誰かに無邪気に産むことをすすめるなんて、あり得ないし、あえて言いたくもない。相手からそういう報告を受けたら、よかったね、おめでとうって言うけれど、あえてこちらからズカズカ踏み込もうなんて思わない。

 

もちろん”いつか産みたい!”とか”そのうち産めるかも!”というフェーズの人にとったら”はい!早く親孝行できるように頑張ります!!”って返せる話題なんだろうけれど、”産めないかもしれない”と不安を抱えている人や、すでに”産むことは不可能”という事実を認識してそのことを重く受け止めてる人にとったらまさに傷口に塩状態だよ。

 

残念ながら一定数いるんだよね。無邪気に言い放てる層というのは。所さんがいいとか悪いとかそういう問題じゃなくて、こういうタイプは存在するんだよ。

 

ひたすら繰り返しているけれど、仕方ない。それだけ根深い問題だから。


今はこういうタイプと遭遇しないように日々生きている。でも遭遇しないように完璧にコントロールなんてできないから、遭遇したらその時感じた嫌なことをまたどこかに書いてやり過ごしていくだけだ。

プロフィールの文章を変えたことなど

数日前にプロフィールの文章を変えた↓

 

ある日“チームゼロ”と宣告され自然妊娠不可と知る。その後今の医療をもってしても夫婦二人の実子が望めないと確定。結果、子供のいない人生を選択。産まない人生を歩きながら思ったことを好き勝手に書いています。


今に至った状況を書いてみた。
また変えるかもしれないけれど、今はこんな感じ。

 

チームゼロって、私たちの状況を一言でサクッと言い表せるし、文章を打つことへのハードルもさがって、使いやすい言葉だったりもする。

 

夫のせいしがゼロで、ということをいちいち説明すると私自身もいまだに心が重くなったりするわけで。だからといってこの状況を説明しなければ”なぜ自分がこう思うようになったのか”という過程がスポッと抜けてしまうので書く文章に説得力もなくなるし。そんなこんなの思いがあるからこそ、チームゼロって言葉が自分の中で非常に使いやすくて助かっている。

 

夫婦共に子どもを望んでいた、という背景があるからこその”チーム”なのである。うちの夫がたまたま結婚せず(子供を望む状況になく)過ごしていたのであれば、本人も知らずに済んだことなのだ。


というのも、うちは原因不明だから。何の既往もなかったし、タイミングもとれてたし、本人はいたってピンピンしてる(よくおたふく風邪とか高熱とかと関連付けられたりもするが、うちの場合はまったく関係なかった)。

そうだからこそ、この事実を知ってしまった時は夫婦ともに青天の霹靂だった(とはいってもタイミングとっても妊娠しないことが続いていたから、これゼロだったら意味ないじゃん、とは頭をよぎることはあったけど)。

 

うちの場合は、ゼロであるからと言って身体に何かしらの自覚症状があるわけではない(まぁ、厳密に言えば、精巣腫瘍とかのリスク因子になってる部分はあるかもだけど、とりあえずそれは置いておく。また精神的なものはどれほどのものかに関しては夫婦といえども私にははかりしれない)。

だから夫だって30年以上その事実を知ることもなく楽しく生きていたわけだ(まぁ今も楽しく生きてる人だけど)。

でも、子供を望んだ場合となるとそうもいかない。未来に夢描いた2人のライフプランが一気に揺らぐ。突然、自然妊娠不可を突きつけられるわけだから相当の衝撃にはなる。

 

 

すべての結果が出て数年たっている今は、”この人と結婚して良かった”という思いと、”この人との子供に会いたい”という両方の思いを抱えながら生きている。結婚生活をこれからも続けるということは、この両方の思いを抱えながら死ぬまで生き続けることになるわけで、時折心が引き裂かれるように苦しくなったりもする。

 

そりゃ状況が違ってたら、”この人と結婚して良かった”という思いと、”この人との子供に会いたい”という思いを両方抱えていたって何ら問題はない。夫婦で、早く子供欲しいねーって言い合ってればいいわけだから。

 

でもうちは違う。それはチームゼロだから。

 

”この人との子供に会いたい”と思ったまさにその人との間だけ子供が望めない。要するに、別に好きでもない人とだったら私は子供を産めたかもしれないわけで、こんな残酷な世界ってある?って叫びたくなる。

 

ある視点から見れば、”それでも一緒に生きていきたいと思う人と結婚したんだから幸せじゃない?”、という感じなのかもしれないが、現実はそんな美談で終わる話じゃない。淡々と日常が続き、ときどき交通事故にあったかのごとく、子供を産むことを推奨されるような言葉を頂戴したりもする。

 

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再現CGで作ってみた。中央にいるのが私だ。

実際にあった出来事であるが、私にいったいどうしろと?って思う。そしてそうできない理由も説明できないから途方に暮れる。産む側の性だから早く産んだ方が!って私に推奨したくもなるのだろうが、どうにもならないんだよ。

 

だからこそカチンとくるし、自分の中で折り合いがつかない。相手が悪意を持ってそういうことを言ってくるわけでもないとわかっているからこそ、振り上げたこぶしをどう引っ込めていいのかもわからない。

 

まぁ、それに関してはできる限り交通事故にあわないようにやり過ごすしかないんだよね。危ないのは帰省の時期。お正月、GW、お盆あたりね。その時期を1ヶ月きってくると私自身ナーバスになってくる(まさにただいま絶賛ナーバス中)。

その瞬間にスパッと解決できるような問題じゃないから悩みはまったく尽きることはないが、まぁ、それでも今日も夫婦の暮らしは続けていられるのでとりあえずそれはそれで良しとするよ。

 

結局、本当は言いたいんだ。無邪気に産むことを推奨するタイプのやつらに、こういう場合だってあるんだよ!って言い返してやりたい。でもそれができないからこそ、書き続けるしかないんだと思う。

”子供はいた方がいいよ”と言われたその後の話

 

repro.hatenadiary.jp

 

↑この話の続きです

時間が空いてしまったが少し補足すると、その会場は、何年振りかに会う友人50名ほどと恩師数名の集まりの場だった。

 

私は久しぶりの再会を楽しみつつ、きょどりつつ、数名と話してはまた他の数名と話すことを繰り返していた。

そして前回の記事で書いた通り、ある恩師とその場にいた友人の会話があり、私は泥水を飲まされたごとくのダメージを食らった。

 

 

”夫婦2人もいいけれど、やっぱり子供はいた方がいいよ”
”私ね、あんまり子供が好きじゃなかったんだけど、子供ができたら違ったよ~”

と言われてから15分後くらいだったと思う。


また別の友人と語らおうとしたときに、その友人が

”○○先生に子供がいても離婚しないでやっていける方法を聞いてみたい。いま大丈夫かな~”と言った。

するとすぐ横にいた別の友人が

”えー、そういう話ならさっき○○ちゃんが先生に相談してたよ”

と言っていたのである。

 

その会話を聞いていた私は表情には出さなかったが、
なんじゃそりゃー!!!と心の中で思いまくった。

 

ある人は子供はいた方がいいと私に語り、そして別のある人は子供がいるからこそ離婚できないという悩みを抱え相談しようとしていた。まぁ、子供がいるから離婚できないという話は耳にしたりもするが、こんなせいぜい15分ぐらいの間にまさに両極端すぎる話をこの耳で実際に聞いたのである。

 

これが40代の世界なのか・・・という感じだった。

 

そういう場面を見て、今の自分なりに思うことは、子供がいたらいたなりの生活があり、子供がいなかったらいないなりの生活がある、ということだ。ただそれだけ。

だから、どちらの方がいいかなんて私は誰にも言えない。そんなことを簡単に誰かに言うのは無責任だよ、って思ってしまう。

 


これが例えば、”ペットを飼うか”という話だったらそうはならないのに。

 

その人が動物好きだったり、ペットが飼いたいと言っていた前提があるなら”ペットを飼った方がいいよ”という会話になるかもしれない。

でも一方で、その人が動物が好きかどうか、一緒に暮らせる環境にあるかどうかも知らない状況において急に”ペットを飼った方がいいよ”とはならない。前後に何の文脈もないのにいきなり”ペットを飼った方がいいよ”なんて言い出したら、は?なんで急にペットなの?ってなるでしょ。

 

でも、妊娠・出産(結婚もそうだよね)の話だったら成立してしまう。

何年も会ってない人との会話だったとしても(その人の背景もまったく知らなくても)、結婚したと聞いたとたんに”子供はいた方がいい”と急に言ってきたりもする。そして言われた方も、やっぱり子供がいた方がいいかな、親に孫の顔を見せた方がいいかな、とか何かしら頭をよぎって揺さぶられたりする。

 

根深い。根深すぎる。


それだけ、結婚すれば自動的に子供がついてくると思っている人もいるし(もちろん心の中で各自思うのは自由だけど、そういうものだと目の前の人に投げかけるのは違うと思うんだよね)、一方で、”○○しなければならない”みたいな思いが程度の差はあれ、刷り込まれていたりする人がいるんだろうな。

 

私もその一人だ。だからこそ、今だって時折苦しくなる。


苦しくなっては、その思いを言葉にしていったん脳の中から外に出す。
そして外に出した文章をぼんやり眺めながら、少しずつ客観性を取り戻していく。

 

それは、”竜巻の中心にいるのか”、”竜巻を遠くから眺めているか”の違いのようなものだと思っている。

 

前は早く竜巻がなくなればいいのに、とか、どうやったら消えるの?って思っていたけど、七転八倒してきた結果、私の中で竜巻はなくならないんだなということがだんだんわかってきた。

それなら、いかに竜巻の中に巻き込まれず、できるだけ遠くから眺めるポジションに立ち、竜巻が近づいてきたら冷静に進路を軌道修正することを繰り返しながら生きていくしかないんだろうなと思っている。

 

1年後2年後はその考えがどう変わるかはわからないけれど、今はそう思っている。